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コラム「大和心」

 現代の世の中は、人間社会の邪悪なる気におおわれていて、清らかな正気が見えない状況といえる。マスコミ報道は、連日国際的には民族宗派間の紛争対立による難民の流出や、自爆テロ事件による夥しい犠牲者の姿を伝え、国内的には無惨な殺人しかも骨肉相食む殺し合いのむごたらしいすさんだ情景を報じている。年間1万人を超す交通戦争が減じたかと思うと、自殺者が3万人にも達するという。

 こうした社会的犠牲者の増加のありさまは人命が軽んぜられ、弱肉強食の風潮を助長して戦国乱世的に人心の荒んだ世相になっていて、しかも情報革命が悪の連鎖を引き起こしている。

 人心の荒廃、社会の騒擾を鎮めることが国家、国民の役割であり、そのためには、国家社会が正義を明らかにしそれを実行する実力(武力)を備えなくてはならない。現在のように国家にその力が弱いときは、国民一人一人が、邪悪なる気を払う正気を養い、正義をたてて社会全体を浄化して行くことが必要だ。

 邪気、悪気とは、人間の正気を失わせ、天地自然や社会環境まで汚してしまうと言ってよいが、それらを払う場合に、夷(い=野蛮)を以て夷を制すとの発想では、より強大な暴力を生んで、世の中は益々悪い方向に行く。

 伝統的な武道の考え方はそれとは違う。

 正気を漲(みなぎ)らせることを主として、自ら、邪気悪気を払うとの思想だ。それは神道のみそぎはらいの思想に源流する。
ではどのようにこの正気を養うのか。そこに日常的な修行があるが、まず正気の語意について理解する必要がある。ここには明治維新の志士たちを動かした・正気・について記す。

《文天祥の正気ノ歌と藤田東湖》

彼の気(いろいろの悪気)は七有り、
吾の気(正気)は一有り。
一を以て七に敵す。吾何ぞ患へん。
況(いはん)や浩然たる者は、
乃ち天地の正気なるをや。

これは中国南宋の忠臣、文天祥(1236〜1282)が獄中で詠んだ「正気ノ歌」の前段である。広辞苑には、

南宋末の忠臣。文山と号。理宗に仕え江西安撫使。恭帝の時に元軍が侵入するや、1275年任地から兵を率いて上京、のち捕らえられて大都(北京)に護送。投降の勧めを拒否して、処刑された。獄中で「正気歌」を作る。

と説明がある。元軍の投降の勧めを拒否して南宋への忠節を曲げず、土牢に投ぜられて七つの悪気にも襲われる。

雨が降れば水気、雨がやみ、ぬかるむと土気、暑くなると日気、炎暑になると火気、米の古くさいにおいのする米気、きたなく垢づいた牢人たちの人気、そして便所や罪人の死骸の穢(わい)気。これらの数気がかさなりつもって、悪気にふれた人は、たいがい病気になる。だがしかし自分は2年その中に寝起きして、何の病気にもならなかった。

それはわが心に修養するところがあるためにこうしたことが出来た。でもその修養する所とは何か、というと、こうと言うことが出来ないが――。その昔、孟子(公孫丑)が、「浩然之気(こうぜんのき)」といわれたが、門人が「浩然之気とは何か」と尋ねられたとき、孟子が「言い難し」といわれたと同じように、「浩然たる者は、乃ち天地の正気」というものであると前置きして、次に自分の感懐を「正気ノ歌一首ヲ作ル」として歌っている。はじめの五節は次のようである。

天地に正気有り。雑然として流形に賦す。
(天地間に正気という純粋無垢の気がある。この気たるや日夜間断なく流行して、万物の形を
賦(わか)ち生ずる)

下は則ち河嶽(かがく)と為り、上は則ち日星と為る。
(下地にあっては黄河や五嶽となり、上天にあっては日月や星辰となる)

人に於いては浩然と曰い、沛呼(はいこ)として蒼冥(そうめい)に塞(ふさ)がる。
(人間世界に於いては、特にこれを浩然の気(天地間に流行している元気で、
人にやどって道徳性の勇気となるもの)と名づける。而して沛呼として(盛大に)
天地間に立ちふさがっている)

皇路清夷なるに当っては、和を含んで明庭に吐く。
(君の道がよく行われて、世の中から太平に治まっている時はこの正気は朝庭の上に和らぎ充ちて君臣倶に和楽して別段角立った痕跡も見えない)

時窮して乃ち見(あら)われ、一一丹青(たんせい)に垂る。
(一朝事変がおこると、節操となって明白にあらわれ、一々歴史の上に留まって永世普及不滅の精神となって伝わって居る)

 この歌が、江戸中期の儒学者で、垂加神道の山崎闇斎に学んだ浅見絅齋(けいさい=1652〜1711)が著した靖献遺言(せいけんいげん)の中で取り上げられ称賛されていて、幕末維新の志士たちの精神にも大きく影響を及ぼしていく。中でも徳川御三家の水戸藩主斉昭を補佐し、後期水戸学の重鎮で、尊皇攘夷の精神的リーダー役となり、吉田松陰や西郷隆盛をも動かした藤田東湖(名は「彪=たけき」)が「文天祥ノ正気歌ニ和ス」との漢詩を作ったのは有名だ。

 東湖はこの歌を7〜8歳の頃に、父親(藤田幽谷)から教わったとしているが、30余年の昔を回顧して、「凡そ古人の詩文の中で、少年時代にそらよみしていたものも、十中の七八は忘れてしまったが、天祥の正気の歌ばかりは、はっきりと暗記して、ただ一字もわすれてはいない」と述懐しつつ、次のように自分なりの「正気」の解釈をのべている。

 天祥は「浩然は天地の正気である」といったが、自分は更にその説を広めて「正気は道義の積もったもの忠孝の発揮したものである」と曰おう。而して、彼の文天祥のいわゆる正気は、秦、漢、唐、宋とその天朝がかわる毎にかわって一様でないが、自分のいわゆる正気は、万世にわたってかわらず、天地のあらんかぎりかわらないものである。

と強調して、意気軒昂ぶりを発揮している。

 孟子の「浩然の気」、文天祥の「天地の正気」に鼓舞された東湖の「正気」とは、「道義の積もったもの」「忠孝の発揮したもの」で、しかも「万世にわたってかわらず」「天地のあらんかぎりかわらないもの」と表現されていて、昔も今も変らぬ日本人の目標が明らかにされている。

 そこに皇室を戴く日本国の武道修練の高き祈りがある。

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