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明治神宮関係
大太鼓に描かれている模様(ともえ紋)は何の模様ですか?
Answer 大太鼓の中心に描かれている文様は「巴」(ともえ)紋といいます。日本で存在する最古のものは高野山金剛峰寺にある「聖衆来迎図」※1に描かれている中太鼓の剣巴の文様とされています。
巴紋は宇佐八幡宮(神宮)
※2などの八幡神社の神紋でもありました。鎌倉時代になると源頼朝が鶴岡八幡宮を源氏の氏神として崇めたことにより、それにあやかって武士の間で多く使用されたため巴は皇室のご紋章である菊・桐に次いで最も多く用いられています。
 この模様は古くより世界各地に見られますが国々によってその原型となったものが異なります。例えば西欧や朝鮮では蛇の形から来ていますし、また中国では雷または雲の形から来ているとされます。しかし我国では蛇や雷・雲ではなく水の渦を巻く形が「ともえ」模様の原型とされています(参考 『日本紋章学』沼田頼輔)。

 次に「ともえ」の語源ですが、「ともえ」は「鞆・絵」の意味です。水の渦巻いている形が”「鞆」の絵”の形に似ていることから由来します。「鞆」とは日本古来より使われた武具で弓を引くときに、これを左手(弓手)の手首につけ、弦のさわるのを避けるために用いられました。『日本書紀』
※3に天照大神が須佐之男命が攻めてくると勘違いして武装したエピソードがありますが、その条に「臂(ひじの意味)に稜威の高鞆を著き」とあり神話に語られていることにより、その起源の古さがうかがわれます。また「鞆」の字は中国の漢字にはありません。日本の字(国字)です。また「巴」の字ですが、この字はもともと蛇がとぐろを巻いている形を模したもので中国では「巴」は蛇の意味しかなかったのです。でも日本では「巴」の字が水の渦巻の形に似ていることからこの字を使うようになりました。
 要するに我国では水の渦巻の形をしている模様を日本語で「ともえ」と呼び、漢字では「巴」の字を当てて表現したのでした。

 次に大太鼓に描かれている巴の形状について説明します。ご社殿の大太鼓の巴紋を見ると向かって右側(左方)は巴が三つ描かれてあり、左側(右方)は巴が二つ描かれています。そして渦巻の方向も違う事に気がつきます。(別図参照)なぜ左右の太鼓の模様が違うのでしょうか、理由は大太鼓はかならず対になっていますので、その左右の太鼓を区別するために巴の数と渦巻の方向を別にしている事が『江談抄』
※4に出ています。『江談抄』では右方の太鼓は二巴で右巴(時計回りに廻っているもの)左方は三巴で左巴(「右巴」の反対方向に廻っているもの)と決められています。


 ところで、なぜ巴の数が三つと二つなのかよくたずねられますが、この事について調べてみましたが、はっきりしたことはわかりませんでした。ただ想像するに陰陽五行説※5の影響かと思われます。左太鼓の日形(ひがた)は日(太陽)<陽>で右太鼓は月<陰>です。また左太鼓に描かれている龍は男性を表していますので陽、右太鼓の鳳凰は女性ですので陰、つまり左太鼓は「陽」で奇数(三・五・七・九)になり、右太鼓は「陰」で偶数(二・四・六・八)になります。よって左太鼓の巴の数は三<陽>で右太鼓は二<陰>となるわけです。
※1聖衆来迎図  平安中期以後盛行した浄土信仰の中で生まれた仏画。西方極楽浄土の阿弥陀如来が多くの菩薩(聖衆)とともに人間世界の死者を迎えに来る姿を描いたもの。
※2宇佐神宮 宇佐八幡ともいう。大分県宇佐市にある。祭神は応神天皇・ヒメガミ・神功皇后。平安時代以降神仏習合の風が強く、伊勢神宮に次ぎ九州第一の宗廟として社運大いにふるった。
※3「日本書紀」 奈良時代に完成した日本最古の歴史書。
※4『江談抄』
 (ごうだんしょう)
平安時代末の成立。大江匡房(おおえまさふさ)の談話を藤原実兼が筆記したもの。故事や世間の雑事をしるし、後世の説話文学に影響を与えた。
※5「陰陽五行説」 古代中国の哲学思想。万物は陰陽の二気によって生じ、五行(木火土金水)によって万物は形成されるとする。また男女・日月・天地、数の奇数・偶数などを陰陽にあてる。
神楽殿玄関及び側面のガラス壁には三巴の模様があります。よく見ると巴の頭の部分が少しとがっているのに気がつきます。これはその形が「なめくじ」に似ていることから俗に「蛞蝓巴」(なめくじともえ)といわれています。
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