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明治神宮関係
地名「代々木」の由来は何ですか?
 明治神宮鎮座のこの地は昔から「代々木」と呼ばれていました。今回地名となっているこの「代々木」の名の由来についてお話します。

 『大日本名所図絵』※1

"代々木御料地なる旧井伊侯下屋敷に樅の老樹あり、幾年代を経しを知らず、すでに枯れて後継樹も喬木となり居れり、是れ当地に於いて最も有名なり、代々木の称は是より起これり"

とあり、代々(だいだい)この地に樅(もみ)の大木があったので、「代々木」の地名がついたとしています。

 この樅の大木ですが「東海道五十三次」の作者で有名な安藤広重も「江戸土産」の中の一つに「代々木村の代々木」と題して代々木の大木を描いています。かなり大きな木であったようで『明治神宮造営誌』※2には枝の広がりが最も広いところで「四方三十余間(約54メートル)に及ぶ」と書かれてあり、元帝国大学教授の白井光太郎博士がこの木を調査したところ、幹の周囲が三丈六尺(約10.8メートル)あり、博士が全国の名木老木を調査した中でいまだかつてこれほど大きな樅の木はなかったそうです。高さがどれぐらいあったのか確かな記録が残ってませんのでわかりませんが、普通の樅の木でも高さ40メートルになるといわれますので、幹の太さから推測するとおそらく50メートル以上はあったのではないかと想像されます。

 この樅の大木は上京してきた旅人の目標にもなったと言われるほどで、この木に登れば江戸一円が見渡すことが出来たそうです。徳川時代にはこの木の上から城内をさぐられてはならないと、一般の人が登るのを禁止したという話さえあり、また幕末には黒船の動きをここで見張ったともされています。

 おしくもこの名木は明治中ごろに枯れてしまい、その後、昭和20年の戦災で焼け落ちてしまいました。現在ある代々木(樅の木)は戦後昭和27年4月3日に同じ場所に植えられたものです。
※1『大日本名所図絵』
(だいにほんめいしょずえ)
日本地誌の叢書。二輯二十巻。江戸時代に刊行された名所図絵の版本を大正7年から11年にかけて翻刻出版したもの。
※2『明治神宮造営誌』
(めいじじんぐうぞうえいし)
明治神宮創建当時の歴史書。大正12年に明治神宮造営局より刊行されたが、関東大震災により中断、昭和5年明治神宮鎮座十年祭にあたりに内務省より復刻再版された。
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